デザインストーリー
その「いいね」、本心ですか
指先一つで送る賞賛。けれど、画面の向こうで本当に喜んでいる人がどれだけいるだろう。SNSにあふれる社交辞令の「いいね」と、その裏でうずく嫉妬の本音。かつて村社会で交わされた愛想笑いは、今やタップ一つの「いいね」に姿を変えた。このデザインは、現代のもっとも身近な建前と本音を、軽妙な皮肉で切り取った一本である。指先一つで好意を示せる時代になって、私たちはかつてないほど「いい人」になった。けれどその気軽さの分だけ、賞賛は軽くなり、本心は見えにくくなった。だからこそ、あえて本音の鬼を裏に刻む。笑いながら、ちょっとだけ胸に刺さるように。
表——にっこり「いいね」
表側は、つやつやのサムズアップ(親指マーク)を掲げて微笑む能面。パステルピンクと白の、いかにもSNSらしい清潔感のある世界だ。「いいね」の文字も丸くかわいらしい。誰の投稿にも気前よく親指を立てる、感じのいい建前の顔。波風を立てず、つながりを保つための、現代の処世術そのものである。能面のように表情を一定に保ったまま、私たちは今日も誰かを祝福し続ける。
裏——内心の「嘘」
めくると、同じ親指マークを押しながら舌打ちする鬼がいる。牙を食いしばり、目は嫉妬に燃え、添えられた文字はひとこと「嘘」。友人の幸せそうな投稿に、口では「いいね」、心では複雑——誰もが一度は覚えのある、あの後ろめたい感情だ。豪華な旅行、順調な仕事、幸せそうな家族。スクロールするたびに比べてしまう自分が、ふと鬼の顔をのぞかせる。けれどこのデザインは、それを責めるためではなく、笑い合うために描いている。
皮肉を、手のひらで灯す
表と裏で同じパステル調と配色を使い、「いいね」と「嘘」をひと続きに見せた。火を点けるたび、愛想笑いの親指が、本音の舌打ちへと裏返る。SNS時代を生きる私たちの、ちょっと痛くて笑える自画像だ。誰もが薄々わかっているのに口に出さない本音を、あえてライターの裏に刻む——その大胆さが、このデザインの面白さでもある。
なぜ能面を持ち出したのか。能面は、人が「素顔を隠して別の顔を演じる」という行為を、芸術にまで高めた究極の道具だからだ。スマホの画面に向かって整える笑顔も、本質は同じ。私たちは一日に何度も、見えない面を着脱しながら生きている。古典の面と現代のアイコンを並べることで、「いいね」というありふれた所作が、実は何百年も続く人間の習性の最新形であることが見えてくる。
嫉妬は、いちばん人間らしい
裏の鬼が抱える嫉妬を、このデザインは悪として描かない。むしろ、嫉妬できるということは、まだ何かを欲し、誰かと比べるほど真剣に生きている証でもある。きれいごとばかりの世界で、舌打ちひとつできる正直さは、案外貴重だ。真鍮の加工では、表のサムズアップは明るく磨き、裏の鬼の眼にだけ深い陰を落として、その「正直な醜さ」をあえて魅力的に見せる。隠すべき感情を堂々と手のひらに掲げる——その開き直りが、見る人をふっと軽くする。
二つとない、一点物の自画像
このデザインは受注生産で、一つひとつ手作業で仕上げていく。だからサムズアップの艶も、鬼の眼に落ちる陰の深さも、届く一本ごとに少しずつ違う。SNSの図柄は無限に複製できるけれど、この一本だけは世界にただ一つ——コピーできない実体を持つ。使い込むほどに表のパステルは落ち着き、裏の鬼の彫りは陰影を増し、「いいね」と「嘘」のコントラストがいっそう際立っていく。画面の中ではいくらでも取り繕える時代に、手のひらの上だけは正直でいられる。そんな小さな逃げ場のような一本を、本音を分かち合える誰かと持ちたい。
わかり合える仲間へ
SNS疲れを感じている人、本音トークができる気のおけない友人へ。クスッと笑って「わかる」と言い合える、合言葉のような一本になる。飲みの席でそっと取り出せば、それだけで話が弾むだろう。名入れを添えれば、二人だけのジョークが宿る。
真鍮に起こされた二つの表情は、握るたびに建前と本音を往復し、人付き合いの本音をそっと許してくれる。誰かを羨んだり、心にもないことを言ったりする自分を、責めすぎなくていい。完璧な聖人より、舌打ちひとつできる正直な人間のほうが、ずっと付き合いやすいのだから。あなたの今日の「いいね」、何個が本物だっただろう。








