デザインストーリー
ひとつの顔の、ふたつの側面
善人と悪人がいるのではない。一人の人間の中に、穏やかな面と荒ぶる面が同居している。このデザインは、その当たり前で見過ごされがちな真実を、一枚の横顔に込めた。表裏で別人を描くのではなく、「同じ一人の見えていなかった側」を見せることに、すべてを賭けている。私たちはつい、人を善い悪いの二択で裁いてしまう。けれど本当は、誰の中にも光と影が同居していて、その配分が日によって、相手によって、静かに揺れているだけなのだ。この一本は、その揺らぎごと肯定する。
中央で分かたれる
表側に描かれるのは、ある人物の横顔。けれどその顔は中央でくっきりと二つに分かれている。正面を向く半分は、穏やかに澄ました能面。分割線には、割れたものを金で継ぐ「金継ぎ(きんつぎ)」を思わせる金色の縫い目が走る。金継ぎは、壊れた器を捨てず、傷跡を金で飾ってよみがえらせる日本古来の美学だ。欠けを隠すのではなく、二面性そのものを誇らかに見せる線——その思想を、この一本の中心に据えた。背景には落ち着いた藍色を敷き、面の白さと金の線を静かに引き立てている。
裏に回ると鬼がいる
ライターを裏返すと、同じ横顔のもう半分が現れる。そこにいるのは角を生やし、牙を剥いた赤い鬼。けれど構図も背景の藍色も光も、表とぴたりと揃えてある。だから別人ではなく、「同じ一人の、見えていなかった側」として腑に落ちる。建前の能面と本音の鬼は、もともと一つの顔だった。金の縫い目だけが、表から裏へと途切れず続いている。
分断ではなく、地続き
このデザインが目指したのは、善悪の対立ではなく「共存」だ。金継ぎの線が表から裏へと続くことで、二面は切り離されず、一本の手の中で一周する。火を点けるたび、人は誰でも二つの顔を持っていい——そんな静かな肯定が手のひらに灯る。隠すのではなく、認めること。それが大人の強さなのかもしれない。
横顔という構図を選んだのにも理由がある。正面の顔は相手に見せるための顔、いわば建前の最前線だ。けれど横顔は、本人が意識していない素の表情がふと漏れる場所でもある。誰かの横顔に、思いがけない疲れや優しさを見つけてはっとした経験は、誰にでもあるだろう。このデザインは、その「見られていないつもりの顔」を主役に据えることで、本音と建前の境界を静かに問いかける。
金継ぎという思想を彫る
中央を走る金の縫い目は、単なる装飾ではない。割れたものを継ぎ、その傷跡ごと慈しむ——金継ぎの哲学そのものを線に託している。真鍮の加工では、左右で仕上げを変えるのが見どころだ。能面側は磨いて明るく、鬼側はいぶして陰を効かせ、その境目に金の継ぎ目を一本通す。光の下では、この継ぎ目が背骨のように両面をつなぎ、表と裏が決して別物ではないことを物語る。
継ぎ目が、味になる
このデザインは受注生産で、中央を走る金の継ぎ目を一本ずつ手作業で通していく。だから線の表情も、左右の磨きといぶしの加減も、届く一本ごとにわずかに違う。金継ぎの器に二つと同じものがないように、あなたの横顔もまた、世界にただ一つの継ぎ目を持つ。使い込むほどに能面側の磨きは柔らかな艶に変わり、鬼側のいぶしは深みを増し、二面を結ぶ金の線だけが手に擦れて鈍く光りはじめる。傷を隠さず、むしろ時の証として誇る——そんな金継ぎの思想が、年月をかけて手のひらの中で育っていく。
自分を知る人への一本
聖人君子を装わず、自分の中の鬼も受け入れている人。そんな成熟した相手へ贈るのにふさわしい。人生の節目に、あるいは長く付き合ってきた友へ、互いの二面性をわかり合った証として。名入れを分割線の近くに添えれば、その人だけの「ふたつの横顔」が完成する。
真鍮に刻まれた金の縫い目は、使い込むほどに艶を増し、二面を結ぶ一本の物語として深まっていく。傷を隠さず、むしろ誇る——そんな生き方を、手のひらの中で静かに支えてくれる。人に見せる顔も、隠している顔も、どちらも紛れもなく自分自身だ。片方だけを本物と決めつける必要はない。二つの顔をまるごと抱えて立っていい、と金の継ぎ目がそっと教えてくれる。完璧を演じるより、欠けも含めて自分を引き受けるほうが、よほど強くしなやかだ。あなたの横顔は今、どちら側から見られているだろうか。








